「今朝の東京新聞に顔写真?+07.9.6函館まで」
日記・雑記
「
市民メディアサミット07北海道」で御一緒した東京新聞の土田修さんより、今日(29日)の朝刊のWIDE面に「
FMピパウシ」に訪ねた際のルポが載るとの御案内を拝受。
「いい写真がなくて、なぜか岩本さんが大きく写っているのであしからず」とのことでしたが(^_^; っつーか、てことは要するに俺が写ってるから悪い写真だということね(`へ′)。まあでも土田さんのことだから、きちんとした記事を書いてくださっていると思いますので、東京新聞を御購読、あるいは手近で閲覧できるという方は是非お読みください。しかし、私もいい加減うかうかしてられないな。このブログでも報告しますと言った手前、さっさと書いていかないと。
んで、まずは出発篇から。去る9月6日、東京駅を午前10時56分に出る東北新幹線「はやて15号」で一路北へと旅立ったのである。それもこんな切符(↓)を片手に。
本来は翌7日朝9時半頃のスカイマーク便で発つ予定だったのだが、折りしも台風9号が7日朝に関東〜東海を直撃するらしいということで、出発を一日繰り上げたのだ。とはいえ集合場所は7日正午の千歳空港だし、前日に札幌入りして無意味にプラプラした挙げ句にまた千歳まで戻るのもツマらんなと思い「だったら途中、函館で一泊しながら電車でのんびり行こう」と考えたのだ――にしたって東京から千歳空港までわざわざ電車で行こうとするヤツがいるか普通?(苦笑)
つーかまあ、本音を言えばもともと北海道までは飛行機より陸路で行きたかったんだけどね(笑)。でもマジな話、この旅路はお薦めですよ。北へ真っ直ぐ向かう東北新幹線の車窓は、東北の大きな空とゆったりした緑の大地に挟まれた高架の上をかっとんでゆく爽快な3時間。八戸から乗り継ぐ函館ゆき特急「白鳥」は青函トンネル経由で、その前後には夏場でもどこか荒涼とした津軽海峡の眺望が楽しめます。しかも、東京駅を朝11時前に出て、夕方5時半には(つまり夏場なら明るいうちに)函館駅に着いちゃうんだから列車といえども案外早い。
で、5時半に函館駅に着いた私は、駅前のバス乗り場発のバスでさっそく函館山の山頂へ。有名な「百万ドルの夜景」を拝みに行くにはちょうど良い時刻なのだ。
山頂の展望台付近は観光客でエライ混雑だった。市街地の夜景も相変らず見事。その反対側の津軽海峡サイドに展開するイカ釣り船群の漁火も綺麗だった。が、観光客の群れに押されに押され、とてもじゃないが撮影用の三脚は立てられず、結局下記のような手ぶれ写真しか撮影できなかった(←辰巳さん御免なさい)。ちなみに聞こえてくる言葉の多くが中国語と韓国・朝鮮語と関西弁で(笑)、このあたりが以前に何度も訪ねた頃とは違う点だった。
そう、私はこの函館という街が大好きで、1983年(当時19歳だった)に初めて来訪してから今回がおそらく通算で10回目ぐらい。この函館山にも確か2〜3回ぐらい、ふもとから歩いて登った記憶がある。ただし今回の訪問は15年ぶりで、その間に長崎や香港、イスタンブールといった街を訪ねるたびに「函館と似てるなあ」と思っていたものだ(実際、香港のビクトリアピークからの眺めには函館のそれに通じるものがある)。
ともあれ山頂からの眺めを堪能し、函館駅(この駅舎は改築されてすっかり様変わりした)まで帰還。待合室の駅前案内(上の写真の左奥)を見ながら今夜の宿を探すべく携帯を操っていたら、不意に表に面した窓ガラスを「コンコン」と叩く音が。振り向けばアイヌの民族衣装をデップリ太った体躯にまとったオッサンがママチャリを引きずりながら私を凝視していたのであった。
「何だ?」と思いつつ周りこんで出た玄関口で、会うなり彼は言った。「民宿あるよ民宿! 素泊まり2950円!」
何でもこの日は客の入りが悪かったらしく、駅前まで“営業”にきたところがおあえつらえ向きの獲物が見つかったということらしかった。そんなわけで駅から徒歩7〜8分の、彼が営む民芸品店の二階にある二段ベッドの部屋に独りで投宿。宿版のオヤジはいたってフランクで、二階の部屋をそそくさと案内するや「ウチは門限はありません。明日の朝はドアに鍵を指したまま出て行ってくださって結構です」と言いつつ立ち去っていった。
お言葉に甘えて深夜に外出。連絡船が消えて久しい今も函館の町は「24時間営業」が当たり前らしく、駅前では夜通し空いてる飲み屋や食堂が活況を呈していた。とはいえ私は冷やかしただけで退散。が、戻った宿で同宿者の関西弁のオヤジに「俺んサンダル勝手に履いてったんかい!」と絡まれる(宿の常備品と勘違いしてました。すみません……)。
戻った宿の部屋で独り「台風情報」を見る。
(つづく)

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