「遅まきながらしつこく続くぞ旅日記(07.9.6-7函館)」
日記・雑記
「(つづく)」の後が全然続かない北海道旅日記。思い出してほしい。話は9月6日夜の函館で止まっているのだ(「思い出せない」という、おそらく大半の人には
こちらを参照されたし)。大型の台風9号が関東〜東海に接近し、東京のキー局が、その他の直接関係ない地方の人たちが眉をひそめるようなバカ騒ぎを平然と番組中で行っていたその夜、ひょんなことから転がり込んだ函館港近くなる宿の窓からは心地よい浜風が吹き込んでいた。
「総武線快速電車の窓ガラスが割れて3人ケガ」とか「新宿駅南口の人通りは先ほどに比べていくぶん減ってきました」なんていうニュースを刻々と緊張感溢れる調子で伝えるテレビ画面をぼんやり見ながら「やっぱり首都圏の人間って『東京のニュース=全国ニュース』と信じて全然疑いもしないんだなあ」と独りごちた。私自身も生まれてから大学を卒業するまでずっと「地方」(という言葉自体が「東京」への対立概念を示す記号なのだと理解したのはそれこそ「東京」の住人になってからだ)にいた人間であるせいか、こういう時には改めてそのへんを再認識させられてしまう。あたかもそれは、自国の文化や言葉が世界のどこでも通用して当然と言わんばかりの態度をとって恥じないアメリカ人(もちろんそういう人ばかりではなかろうが)に接した際に覚える違和感のごときであろうか……。
翌朝、函館駅発8時半の特急に乗るべく、少し早めに宿を出る。1階の民芸品点は開店前で玄関に鍵が掛かったまま。前夜に函館駅で私に声をかけてくれたアイヌ服のオヤジもまだ姿を見せなかったため、せっかくの「コーヒーを奢るよ」との御厚意にも失礼を働く格好になってしまった。誠に申し訳ない。お詫びがてら、以下に宿&民芸品店の写真を掲載しておくので、函館を訪ねる機会のある方はぜひ立ち寄ってみてください。素泊まり2950円の、なかなか快適な宿だ。
それにしても函館は、しばらく御無沙汰している間に、ずいぶんと鄙びた印象の街になってしまった。かつての連絡船桟橋に隣接した岸壁近くの倉庫跡や朝市広場は再開発により美しく整備されたものの、私が初めて訪ねた約四半世紀前――朝4時半着の青函連絡船から寝ぼけ眼をこすりながら降り立った――の早朝、一帯に漂っていたプンプンするくらいの生活臭は今や過去のものになっているようだった。唯一、港を見下ろす函館山と、退役して久しい今も剥製のごとく岸壁へ係留されたままの旧連絡船「摩周丸」だけが往時の名残だ。
とはいえ……う―――――――――――――――ん、やっぱ函館って大好きな街だなあ。いやほんと、この街や連絡船、それにまつわる若き日の旅の思い出を書き出したら何だかキリがなくなっちゃいそうなんで、そのあたりはいずれまた項を改めて。しかし旅行記は今回も結局函館を発つところにすら到達しないのであった(汗)。

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