2008/12/28

NAVA RASA B慈悲  NAVA RASA(9つの感動)

3つめは『慈悲』

『慈悲』。。 悲しみ、慈しみ。。 慈悲の心は「優しさ」をあらわすという。。

昔の話である。
先輩といっしょにお稽古をしていたのだが、どうもうまく行かなくてダメ出しが続いた。
結局、進むべきところまで進めず申し訳ない気持ちで私は先輩に声をかけた。
「すみません」
と。

すると突然、指導にあたっていた人が憤怒の形相で振り返り叫んだのだ。
「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!!!」

まさに鬼だった。
一瞬、何が起こったのか理解できず呆然となったのを今でも覚えている。
あの鬼のような目は今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。

そして月日は流れ、立場を変えて同じことが起こった。
リハーサル途中、私はあるスタッフに対して注意した。自分の役割を把握しておらずランスルー(本番通し)でありながらそのことも理解せずに違うスタッフの流れをとめてまで自分のことをやり始めるからだ。
「違う人の担当を邪魔しないで! 本番と同じ流れでやってるの!! きちんと説明してるはずよ!!」
と。

すると相手にされていたスタッフが、その注意されたスタッフに対して言ったのである。
『すみません』 と。

このときに私は数年前のことが理解できたのである。
なぜ鬼のように変貌したかを。
私もこのとき、同じことを思ったのだ。
「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!」と。
舞台はすべて連帯なのだ。流れを止めているのは一人ではなく、自分の役割を留めてまで相手するのもまた原因なのだ。

「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!」
私はまさに同じことを思った。

ただ、私はそこで『すみません』と声をかけたスタッフには怒らなかった。
怒りは自分の中で消化させた。
なぜなら、それはそのスタッフの相手を気遣う最大の思いやりであるからだ。
慈悲を優しさというのであれば それは怒られたスタッフに対する慈悲から発せられた言葉なのであろう。
だから私は叫ばなかった。憤怒の形相をすることもなくただ、そのスタッフの「優しさ」を
受け入れた。
そして黙々と自分のやるべきこと、ステップを踏んだ。

慈悲を知るというのは 孤独を知るということ。 だからそこに優しさ、慈悲の心が存在するのだとおぼろげながらに思うのだ。舞台はいつもいろんなことを教えてくれる。

今日は稽古納めです、パキパキとステップ踏んできます♪ それが私の「役割」ですから♪

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