2006/1/17

阪神・淡路大震災から11年  毎日父さん

1995年1月17日早朝、兵庫県南部を激しい揺れが襲いました。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です。死者6,434人、けが人43,792人、倒壊家屋(全半壊)249,180棟の被害でした。戦後最大級の自然災害です。また、数字では表せない様々な悲しみがありました。

 幸い、私の家族には怪我はなく、家屋も一部の損壊ですみましたが、職場の元先輩が亡くなり、同僚の家は全壊し、上司は家の下敷きになったところを救出されました。

 毎日新聞のある記事(2006年1月13日朝刊)によれば、震災で唯一の肉親の母を目前で失ったある一人暮らしの人がずっと閉じこもりになり、ただ涙を流す日々が続いていたが、ようやく一昨年頃から好きなカラオケに行ける様になり、最近「生きていかんとね」と言えるようになった、とありました。

 肉親を目の前で失ったというこころの傷は時が経ったからといって決して消えません。でも、ほんの少しずつ癒され、傷の痛みは少しずつ軽くなっていきます。悲しみはほんの少しずつですが、希望に変わるように思います。

 次男の誕生日はこの1月17日です。大震災の時は保育園児でした。当然祝ってもらうべき誕生日は悲しみに包まれ、それ以降彼の誕生日にはなかなか「おめでとう」とは言ってもらえません。「誰も祝ってくれへん」とちょっとヘソを曲げても、苦笑いで対応するしかありませんでした。でも今年は「悲しい日ではあるけれど、希望への第一歩の日でもあるよ」と話してみようかと思います。(これは親父の言葉だね)

「兵庫安全の日」公式サイト http://www.19950117hyogo.jp/default.htm

神戸市ホームページ 消防局 阪神淡路大震災 
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/48/quake/index.html
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2006/1/22  11:45

投稿者:毎日父さん管理人

 私も、生きていることから生かされているというのは実感します。正確にいえば、「生きているとともに生かされていると感じる」という感じでしょうか。

2006/1/20  10:18

投稿者:ことぶき

震災の日の一日。それぞれに振り返っているのですね。
1月17日の朝、揺れる直前に目がさめた。「えらい、はよう、目がさめたな?」と思う間もなく家がきしんむ。

兵庫県から遠い大阪府羽曳野市の自宅。すぐにテレビをつけた。大晦日にうまれた長男の居る妻の実家から電話が入った。「だいじょうぶ?」「だいじょうぶ」私は、ご飯を炊き、おにぎりだったと思うが、それを持って出かけた。

近鉄電車はあべの橋まで、ようやく到着。そこから、大阪駅まで歩いた。約一時間。道路の真中を歩く。時々ビルの上から、何かが落ちてくるところがあった。大阪駅について、すぐ缶ビールを飲み干した。どうなっているのだろう?

大阪の診療所は、瓦が落ちていた。父の居る西宮までは行けなかった。
2日目、雨が来たら大変と思い、瓦の落ちた診療所の屋根に登り、青いビニールシートを張った。必死だった。
3日目は、西宮に行った。阪急が動き始めていた。西宮北口まで行った。まず、仁川の伯父の家、そしてJR西宮の駅近くの父のところ。すべて歩いた。

俺がやらなければ、誰がやるという思いだった。
それから、どれくらいしてからか、神戸にも行った。大学の時の友人の家があった。

しばらくして、芦屋の下宿のおじさん、おばさん、西宮の知人が亡くなっていた事を知った。

なんと人間の小さきことよ。まれなる命であることを知った。ぼんぼん育ちの私には、生きている事から、生かされている転換となった。

生かされている事に、感謝。亡くなった方々に黙祷。

http://www2.odn.ne.jp/kotobuki


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