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2020/11/22  大根引くラジオの音を高くして  日記

立派に育った大根を6-7本引き抜く・・なかなか力仕事です

農家の叔父さんが種を買う時にこれが良いよ・・薦めて貰った「おふくろ」という種。

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少し辛いので煮物に合ってますね。

大根オロシにすると少し辛いので酢を沢山入れたりします。

昼はオロシ蕎麦にしましたが、辛味蕎麦は最高に美味かった。

畑にはあと60本以上は残っているので毎日が大根尽くしです

明日は玉葱を植えつけるかな・・。
タグ: 大根引き

2020/11/20  強風に地を這ふごとく枯落葉  日記

曇天でしたが、暖かな南風の強い日でした。

枯落葉の舞う中をゴルフで半袖で過ごした一日でした。

気温は24度位でしたが、生暖かな20M位の強風が気持ちの良く思えました

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今日もゴルフ場は混んでましたが、聞けばこの三日間70組から80組の客が入っているそうで

36Hとしてはほぼ満員に近い盛況のようです。

ここ南総CCは会員の代表が経営に携わっているゴルフ場で、満員は会員にとっても

嬉しいことです・・。

満員の状態でしたがハーフ2時間ほどで廻れたので進行は良かったようです。
タグ: 南総CC

2020/11/19  猿は哀しいものの例え  漢詩

李白の「早に白帝城を発す」は数ある李白の詩の中でも良く知られた詩で

特に詩吟愛好家では誰でも知っており、最も愛吟されている詩の一つです。

何処の独吟大会に行っても何人かはこの詩を吟ずる方がいます。

 早に白帝城を発す  李白

朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る

両岸の猿声啼いて止まざるに 軽舟已に過ぐ万重の山


「詩の大意」

朝早く美しい雲のたなびく白帝城を出発し

江陵までの距離千里を一日で還ってきた

両岸で啼いている猿の声哀しげに耳元に響く

軽やかな小舟は幾重に重なる山々の間を一気に通過して行く

(実際には千里も無いのだがここは李白特有の「白髪三千畳」のような

例によって針小棒大な表現で李白の独壇場だ)

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李白の肖像と下は北京故宮博物館に残っている唯一の李白の実筆の書

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この詩は李白25歳の時に蜀の国から中央に旅立つときの詩で、

はやる思いに小舟に任せ軽快に江陵に下る時に作ったとの説と、

玄宗皇帝に3年ほど使えた李白が、粛宗が玄宗に無断で皇位に付いた事を認めず

反乱軍に加わったかどで捕えられ、配流の途上に白帝城付近で恩赦となり

59歳のこの時に作ったと説があるが、調べるほど判らないが、

小生には25歳の時の作のような気がする。

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ところで中国の故事にある「断腸の思い」とは

晋の武将 桓温 ( かんおん ) は、蜀の地にあった成漢に攻め込み

三峡(長江の上流の渓谷)までやってきた。

そこで、部隊の中に猿の子を捕らえた者がいた。

子猿を捕らえられた母猿は、岸沿いに哀しげに叫びながら、

百里以上もついてきて、ついには船に飛び乗ったが、

途端に息絶えて死んでしまった。

その母猿の腹を割いて見ると、腸(はらわた)が細々にちぎれていたそうです。

断腸の思いは、又別な説にはは谷底に落ちた小猿を母猿が

100里も啼きながら追いかけ、まさに腸が飛び出さんばかりの啼き声を言ったようだ。

猿にまつわる哀しい話」として伝えられており、

古来中国では「猿の鳴き声は哀しい物の例え」として語られているようで

猿と言うと、日本では動物園の猿や、猿回しの猿のイメージが強いようですが

中国と日本では猿についての印象が違うようです。

詩吟はこうした時代の背景や作者の詩の心を調べ、

詩歌を謳い上げる事で、詩歌の世界に自ら入り遊ぶことができ、

声を出して吟ずる事で自らの「気」を高め、心身ともに健康に良いのだ。

今週の教室でもこの詩を朗々と吟じあげよう。
タグ: 断腸の思い

2020/11/19  「畑に出るほかは用無き小春かな」  日記

堆肥作り、土作りや畝作りに草取りと仕事は幾らでもあるのが畑仕事・・・。

玉葱,サヤエンドウを植える畝を重点的に堆肥を入れ鶏糞を入れて来週玉葱の植え付け予定。

大根は大きく育ちました・ご近所にもお裾分けです。

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お昼は庭で蒸かし芋です。

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2020/11/18  「小春日の白波寄する海たひら」  日記

夏日の暖かな浜辺は晴れ渡り気持ちの良い日でした・・。

半袖でも良いような陽気です。

暦の上では冬で、昨日の朝晩は手袋をしていましたがどうしたことでしょう・・?

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ニューヨークに仕事で行っていた頃の冬に突然夏日のような日をインディアンサマーと

言っていたことをふと思い出しました・・。

東京の感染者は今日493人だったそうで油断が出来ません

当地の千葉県大網白里市でも17人になったそうです。

2020/11/9  冬芝に大きく盛られ土竜塚  日記

庭の芝生に大きなモグラ塚が出てきてビックリ・・。

地下のモグラのこのエネルギー・・・大変なものですね。

モグラにはお目に掛かることはないけど、いったいどれ程の大きさなのかな?

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タグ: 土竜塚

2020/11/8   山 行 杜牧  漢詩

秋のこの季節に必ず詠うのは杜牧作の山行です

   山 行 杜牧

遠く寒山に上れば石径斜なり

白雲生ずる処人家有り

車を停めて坐ろに愛す楓林の晩

霜葉は二月の花よりも紅なり 
     
  
  山 行 杜牧

 遠上寒山石徑斜

 白雲生處有人家

 停車坐愛楓林晩

 霜葉紅於二月花

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「通 釈」

秋の日の山歩きの効用を鑑賞した杜牧の詩。

白雲が湧くところに人家が見える。
 
車を止めて、気の向くままに、あまりにも美しい夕暮れの

楓林の紅葉を愛で、霜で紅葉した葉は美しく、春・二月の花よりも一層鮮やかな紅いと結んだ。

詩吟愛好家には人気のあるこの詩は秋のこの季節には好んで詠われる。

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杜 牧(と ぼく)803年- 853年中国、晩唐期の詩人。

平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とした。

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杜牧の詩で「項羽」の最期の地となった烏江で作った「烏江亭に題す」の詩文の中には

捲土重来(けんどちょうらい)」という言葉の出典となっている詩がある。

捲土重来のブログ↓

http://wind.ap.teacup.com/applet/uminoko/20091025/archive

日曜日の今日は午前中からスカパーで女子ゴルフをテレビで観戦して

申ジェの優勝と笹生、畑中らの猛追を面白く見ていました。

2020/11/6  サツマイモの収穫  日記

サツマイモを沢山収穫したので、昼ご飯は蒸かし芋の毎日ですが・・

戦中は芋ばっかりだった話も聞いていたけど・・旨いものです。

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久々のラウンドでしたが片手シングルの人たちと一緒に廻って

ドライバーが50ヤード位置いてゆかれるので、力が入って全くだめだったね・・。


2020/11/3  「熱々の冬瓜煮込むうどんかな」  日記

文化の日の祭日でしたが、千葉市の土気教場の詩吟教室があり、10時から

山頭火の「しぐれの旅」、尾崎法哉などを吟じ、

昼はお気に入りの「うどんZ」へ、季節限定の冬瓜うどんを頂きました

厚焼き玉子も旨い・・。

カウンター・テーブル席とも板で仕切り感染対策をしている

夕飯は新潟の〆張鶴を頂く

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2020/11/1  蕎麦の花が咲く蕎麦屋  日記

地元情報紙「ゆとりーと」に紹介されていた房総半島の中ほどにある長柄町にある

白い蕎麦の花が咲く「ながら長生庵」と産直広場「太陽」の里をドライブがてら訪ねてみた.

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茂原市内から20分ほど半島の中ほどへ入ると殆ど山の中ですが、

今日の新聞折込で紹介のあった所為は沢山の人出で、大きな蕎麦屋は満員の行列で

入れなく、産直広場「太陽」でお弁当を買って外で頂いたが大満足でした。

今度は平日に来て見よう。

2020/10/31  広瀬淡窓(故国の春)  漢詩

鋭きも鈍きも共に捨てがたし

   錐と槌とに使い分けなば
 

1805年宮崎の日田に私塾桂林荘を開いた教育家で商家の出身である

広瀬淡窓は自作の歌のような思想を持ち、後に咸宜園と名を改め以降

10代の塾長の元、八十年間で伸べ4800人余の門弟を世に送り出した。

同じ時期の吉田松陰の松下村塾には維新の傑物が輩出したが、

そこには尊皇攘夷の思想が根底にあり、塾生も攘夷の志士であったが、

咸宜園には数学や天文学・医学のような様々な学問分野の身分の種々な人々が

排出されていた事に淡窓の教育家としての偉大な姿が偲ばれる 

咸宜園(かんぎえん)↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%B8%E5%AE%9C%E5%9C%92

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広瀬淡窓は3年の学門を修め、故郷へ帰る塾生に次の詩を贈った

桂林壮雑詠その三(故国の春)

 長鋏帰りなん故国の春

    時々務めて払う簡編の塵

 君看よ白首無名の者

   會是経を談じて席を奪いし人

「学問を続けなさい,そうしないと周りにいる白髪の普通の叔父さんで

終ってしまうんだよ」と叱咤激励した。

友多き 友の中にも 友ぞなき

 沈むも浮くも友にこそよれ(淡窓)


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桂林荘雑詠(諸生に示す)2013/5/15のブログ↓

http://wind.ap.teacup.com/applet/uminoko/20100515/archive




2020/10/30  「試し掘る甘藷巨大に太りをり」  日記

サツマイモを一株ほど試し掘り・・。

思いのほか大きくなってました。

50株は植えてあるので、非常時の食料保存に安心します。

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秋茄子の残っていた10株も引き抜きました・・

茄子がなくなると寂しくなりますね

2020/10/29  「十三夜真山民の詩を詠ず」  漢詩

秋晴れが続き十三夜の月が綺麗に見えます・・。

寒くもなく良いお月見が出来ました・。

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中国・南宋の詩人「真山民」作の山中の月を学習。

隠者の暮らしをするこの作者は美しい抒情詩を数多く作詞しているが、何よりも

1993年(27年前)に他界した小生の師の十八番の詩であった。

民謡も得意であった先生の情緒豊かな高音の吟声は今でも耳に残っている。

そんなことを思い起こしながらこの詩歌を一節づつ伝えてゆくのだ。

しかし何時になっても師の情感はなかなか出せないものだ。

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  山中の月  真山民

我は愛す山中の月

烱然(けいぜん)として疎林(そりん)に掛かるを 
 
幽独(ゆうどく)の人を憐(あわれむ)が為に

流るる光は衣襟(いきん)に散ず

我が心本(もと)月の如く

月も亦また我が心の如し

心と月と両つながら相い照らし

清夜長とこしなえに相尋ぬ


「詩の心」

作者は山中にかかっている月、まばらな林を照らしている月を最も愛す。

この静かに隠棲している自分を憐れむかのように、

月の光は私の着物の襟の辺りを照らしてくれる。

自分の心はもとより月のように無欲で清らかだ。

あの清々しい月もまた自分の心と同じだ。

我が心と月とが互いに照らし合い、この素晴らしい、

美しい夜をいつまでも相尋ね合うのである。

「語 訳」

烱然=月の光り輝くさま。

疎林=木のまばらに生えている林。

幽独の人=静かに一人でいる人。ここでは真山民自身。

流光=月の光。

衣襟=着物のえり。

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隠棲(隠者の暮らし)は世捨て人ではなく、詩歌の境地や思想を深める為に

山中に暮らす詩人が多かったようで、李白の詩にも多く見受けられる。

中国4000年の歴史には素晴らしい詩歌や孔子・孟子などの中華思想が流れている。

最近の学校教育には漢詩は無くなってしまったが、

漢詩の深さにはいつも感動するものがあります。









タグ: 十三夜 真山民

2020/10/28  爽やかに健康寿命 伸ばしけり  日記

爽やかなゴルフ日和、思い立ってゴルフへ・・・。

汗ばむこともなく、寒くもなくまさにゴルフシーズンですね。

この季節になるとゴルフ場に孔雀草の大鉢が置かれる。

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水曜日だけどゴルフ場は満員だ、東コース、西コース共に38組づつ入っているそうです。

さて、景気が良くなったのかな?

しかし客を良く見ているとリタイア組が多いような気がする・・。

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2020/10/26  雨にも負けず  日記

雨ニモ負ケズ  宮沢賢治

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ丈夫ナ体ヲ持チ、

決シテ怒ラズ、イツモ静カニ笑ッテイル。

一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベアラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニ、

ヨク見聞キシ分カリ、ソシテ怒ラズ、野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ藁ブキノ小屋ニイテ、

東ニ病気ノ子ドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ、西ニ疲レタ母アレバ、

行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ、南ニ死ニソウナ人アレバ、

行ッテ怖ガラナクテモイイト言イ、北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ、

ツマラナイカラヤメロト言イ、日照リノトキハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ、

ミンナニデクノボウト呼バレ、褒メラレモセズ、苦ニモサレズ、ソウイウ者ニ私ハナリタイ」


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雨にも負けず、風にも負けず・・」の詩は誰でも何度か朗誦し、

聞いた事があり、知っています。

この詩を韻読調に読み、若干節を付けて詩吟界で初めて朗誦したのが、

我々の所属する公益社団法人日本吟道学院の創始者です。

宮沢賢治は1896年、質屋・古着商を営む商家に生まれ、

凶作や飢饉に見舞われる過酷な風土の中で育ち、

決して体が丈夫でなかった賢治は、「将来は農家の人達の役に立ちたい」という思いを

一層深めていったものと思われます.

花巻市にある宮沢賢治記念館にはその足跡の「風の又三郎」や「銀河鉄道」等

イートハーブの作品が沢山残されているが

「この雨にも負けず」の詩文は賢治の没後の1934年以降に、

弟の清六によって遺稿として世に出たもの。

東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京して再び病に倒れ、

花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳に記されていたものでした。

この東北砕石工場と言うのが岩手県東山町松川の石灰採掘工場なのだが、

実は小生はこの松川村で小学校時代の6年間を過ごし、

宮沢賢治の「雨にも負けず」を書いた地に賢治が没した20年後に居たのだ。

日本の原風景のような長閑な「山河豊かな自然の恵みのある地」で育ててもらった訳です。

しかし、この「雨にも負けず」詩は賢治そのものではなく、実在のモデルが居たらしいのです。

斉藤宗次郎
さんという賢治より20年先輩のキリスト信奉者だったそうです。

宗次郎さんはお寺の子として生まれたそうですが、小学校の教員の頃に

キリストの洗礼を受けクリスチャンとなったそうで、

当時の世相は耶蘇教(ヤソ)と言われなき迫害を受けた時代で、

耶蘇の教師は要らないとクビになり、毎朝3時に起きて新聞配達を職業としながら、

詩文にあるような暮らし振りであったそうですが、

自分の娘が村の子供たちに耶蘇教(ヤソ)の子といじめられ,

お腹を蹴られたのが元で腹膜炎で亡くなるなど、

キリストのように自らへの受難に耐え、博愛周囲に及ぼすその生き方に、

賢治は結びの詩文にあるように「そういう者に私はなりたい」と

斉藤宗次郎さんを讃えている。

1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越したが、

花巻の地を離れる日には、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、

神主、僧侶、一般の人が駅で見送ったそうです。

その群衆の中に宮沢賢治もいたのだそうです。

1938年結核が元で38歳で没したが、賢治のイートハーブ理想郷)は今も受け継がれている

詩吟をやっていると、こうした昔親しんだ詩歌にも再び親しむことが出来て、

子供の頃の昔と違って今はその詩歌の背景や意味を調べたりもするので、

自らが勉強になる訳です。




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