にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村 にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村 にほんブログ村 ゴルフブログ ゴルフ情報へ
にほんブログ村
仕事始めは、「イエローページ」(マイビジネスストーリー)  エッセイ

仕事始めは、「イエローページ」(マイビジネスストーリー)

1978年、初めてニューヨークにダイヤモンドの仕入れに行った。

香港での仕入れから元はイスラエルとニューヨークらしいのが分かり、

イスラエルの初訪問の同じ年にニューヨークへ飛びました。

ニューヨークへ仕入れルートの開発に乗り出したのは1978年(32歳)の秋だった。

春のイスラエルのテルアビブ出張に続いての出張だった。

当時の日本は右肩上がりの経済が、さらに加速しようかという時代だった。

大平内閣が発足し、試験管ベビーが誕生、大相撲では北ノ湖が年間五場所優勝、

万年Bクラスの我がヤクルトスワローズが悲願の初優勝を果たした。

個人的には父親が57歳で亡くなった年でした。

当初はユダヤ人のビジネストークの小気味良さに引かれたものでした。

ニューヨークには全く仕入先の目星もツテもなく、事前に東京のジェトロで調査をしたが、

エイ「当って砕けろ」……と度胸ひとつでホテルの予約だけをして飛行機に乗った。

パンナム航空のアンカレッジ経由(当時、ニューヨーク直行便はアンカレッジで給油した)で

16時間ほどかかったが、売り出されたばかりのソニーのウォークマンを

肩からぶら下げて長旅を楽しんだ。

クリックすると元のサイズで表示します

ニューヨークに着いた。英語がさっぱりわからず、取りあえず通訳を雇って行動しようと思い、

ホテルにチェックインすると、まずは部屋に置いてあったイエローページで

「ジャパニーズ・インタープリター」のページを引いた

(インタープリターの英単語だけは日本でメモしておいた)。

通訳はすぐに見つかり、部屋に来てもらった。

さあ・・ニューヨークでの第一歩が始まる。

30分ごとにダイヤモンド商を巡る(ニューヨークでの第一歩)

NYのホテルに着いて、まずイエローページの職業欄から

ダイヤモンド・ホールセール(卸売り)を一行ごと追いながら、

電話で30分ごとにアポイントを取り、翌日から行動を開始した。

マンハッタンを方々移動するのかと想像していたら、

何のことはないほとんどが同じビルの中か、付近のビルに集中していた

(後でわかることだが五番街の47丁目と六番街の間がダイヤモンド・ストリートで、

業者はここに集中している)。

クリックすると元のサイズで表示します

通訳を交えて30分単位に商談し、ビジネスとなれば共通の土俵なので、

言葉の障害も乗り越えて仕事は予想外にスムーズに運んだ。

商談が成立すると直接弊社の取引銀行経由で品物を日本へ送ってもらうことにした。

ニューヨークのダイヤモンド業界はユダヤ人社会に支えられている。

黒マントに髭面のユダヤ人とのビジネストークは、

小気味の良いマネートークの世界で当初から親しみを覚えたものだ。

数多くの業者に会い、今後取引できそうな相手を在庫や相性、

ダイヤモンド・ビジネスの考え方などから探り、彼らの仕事の仕方を学んだ。

この時に頼んだ女性の通訳は優秀な人で、

米国人と結婚し子供を育てながら働いているバリバリのキャリアウーマンだった。

大変てきぱきして人で、ニューヨークにおけるビジネスのナビゲーターとなってくれた。

NYメリンダ・ダイヤモンドの会社設立の際の登記手続きのための弁護士の紹介、

銀行口座の開設や銀行貸し出しのアポイント、

ウォール街や24年後にテロ攻撃で崩壊したツインタワー(貿易センタービル)の案内など、

有能な秘書として働いてくれた。

銀行では、今で言うATMの自動振込みや引き出し、

銀行間の送金などを初めて体験し新鮮な驚きを受けた。

帰国後その模様を取引銀行の人に話すと、

「そんなことが出来たら銀行の平均残高の計算が立たないよね……」と考え込んでいた。

当時のニューヨークには日本の5年、10年先を見通せるヒントが方々に転がっていたのだ。




コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ