CIAミーティングの会議中に、大きな揺れを感じました。
最近、震度3程度の地震が続いていたので、これもその1つ
だと思っていました。どんどん大きく揺れ始め、
だんだん恐怖になり、そのうち大変な事態だと察知しました。
9階だての7階はぐるぐると揺れはじめ、がたがたと音をたて
立っていられないほど揺れました。私はおもわず、隣にいた
スウェーデンのおじさんのお腹に掴まっていました。
脳が、阪神大震災を覚えていたから
体が、もう動かなくなり、怖くて怖くて。。
中にはビルから逃亡した外国人やカメラを回す外国人もいて、
窓の外には逃げ出す人の列があり、日比谷公園は規制される
ほどの避難民が集まりました。まるで映画のようでした。
私たちのいた航空会館は頑丈につくられていたので、ビル内に
いるようアナウンスがあり、無理な抵抗をやめて、ひっそりと
会議を進めていきました。
しばらくは家族とも連絡がつかず、携帯の電池もなくなり、
うちに帰ることもできず、航空会館でひと晩を過ごし、
夜は余震で眠れず、ビル内は寒くて、不安でした。
でも、私たちは恵まれていた方でもっと辛くて大変な状況で
過ごす人たちがたくさん東京に溢れかえっていました。
一瞬はもうだめかもと覚悟を決めていたけれど、
今こうして無事に帰宅でき家族も元気にいてくれたので、
改めて命の価値を尊さを実感しています。
震災復興に向けできることをやる、それが使命だと思います。
遠くで起こる事件や、天変地異をテレビのものだと思っていた
自分がとても弱くて小さいものだと、思い知らされました。
そんな自分が変われるように、強くなれるように、この状況を
忘れないように生きていこうと思いました。
P.S. 私たちは無事で元気です。

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